【Vol.5】見知らぬおばさんの『1,000円ちょうだい!』から気づいたこと~向き合わない課題は大きくなって何度も現れる~

こんにちは。原 登志文です。
突然ですが、みなさんは街中で見知らぬ人から「お金をちょうだい」と言われたら、どうしますか?
今回は、私の身に起きた少し奇妙で、今振り返ると「人生の大きな転機(パラダイムシフト)」となった、ある2つの出来事をお話しします。
第1章:駅のホームでの遭遇と、Facebookでの「一言」

それは数年前、私がお金に関する講座に参加していたときのことでした。
夜遅い時間、駅のホームで電車を待っていると、満面の笑みを浮かべた中年女性がこちらに近づいてきました。
彼女はものすごくウキウキした嬉しそうな様子で、私にこう言ったのです。
「今からお買い物するので、500円か1,000円ちょうだい!!」
いきなりのことで、私は驚きました。私は、おばさんのハイテンションとは真逆の、ものすごく低いテンションと冷めた表情で、小さく一言だけこう返しました。
「嫌です」
すると、おばさんの表情は一瞬で能面のように無表情になり、何も言わず、まるで何事もなかったように私の前を通り過ぎていきました。その後ろ姿は、先ほどのウキウキした感じはなく、普通の人がただ歩いているだけのように見えました。
印象的な出来事だったので、後日そのエピソードをFacebookに投稿してみました。
すると、それを見たコーチング仲間から、こんなフィードバック(コメント)が届いたのです。
「もしかして原さん、今○○(お金の講座の名称)に参加してたりする?」
私はその仲間に、その講座に通っていることを一切話していませんでした。それなのに、なぜ見抜かれたのか?
驚くと同時に、私はハッとさせられました。
「この出来事は、自分が『お金をどう扱っているか』を映し出す鏡なのかもしれない」と気づいたのです。
第2章:私の「お金のルール」に潜んでいた条件

それまでの私は、神社に参拝したときにお賽銭を出したり、時に寄付をしたりしていました。自分ではそれを「見返りを求めない寄付や喜捨(きしゃ)」のつもりで行っていたのです。
しかし、この事件をきっかけに自分の胸の内を深く観察してみると、醜い本音が隠れていることに気づきました。
私がこれまで出してきたお金は、すべて「自分の満足のため」、あるいは「自分の願いを叶えてもらうための対価」だったのです。
道端で物乞いをしている浮浪者の方を見ても、それすらどこかで「一種のパフォーマンス」として認識し、その対価としてお金を渡していました。
つまり私は、「100%自分のためにならないことには、びた一文だしたくない(だせない)」という強固なマイルールを持っていたのです。
ここで、自分の中に一つの問いが残りました。
「では私は、どこの誰とも分からない人が、その人のためだけに使うお金を、何の見返りも期待せずにあげることができるのだろうか?」
答えは出ないまま、時間だけが過ぎていきました。
第3章:3年後の、もう一つの出会いと「実験」

それから3年ほど経った、ある日の散歩中のことです。
前方から、見るからに浮浪者風の中年女性が近づいてきました。私の目の前まで来ると、彼女はこう言いました。
「施設に預けられている娘に会いに行くのですが、バス停はどこにありますか。あと、バス代がないので2,000円くれませんか?」
その瞬間、私は「そんなの嘘でしょ!」という思いと同時に3年前のあの問いを思い出しました。
そして、ある法則を思い出しました。
「自分の課題を避けて通ると、大きくなって目の前に現れる」
3年前は「500円か1,000円」だったものが、今回は「2,000円」に値上がりしている……!(笑)
もしここでまた拒絶して課題から逃げたら、きっと次は「1万円ちょうだい」と言われるに違いない、という想像が頭をよぎりました。
そして私は、半分「実験気分」で、自分の感覚をあえて裏切ってみることにしました。
「はい、どうぞ」と、2,000円を彼女に手渡したのです。
第4章:劇的な変化は起きない。けれど……

2,000円を渡した後、私のお金の使い方が劇的に変わったわけではありません。急にお金持ちになったわけでもありません。
しかし、自分の中ではとてつもない変化が起きていました。
それは、
「自分が無意識に取っていた行動パターン(マイルール)に気づき、それを自分の課題だとして意図的にいつもとは違う行動を選択できた」
という事実です。
「出したくない」という無意識のブレーキを、自分の意志で外して、異なる行動を取ってみる。
これができたことは、私にとって「自分は無意識の奴隷ではなく、自分で行動を選べるんだ」という、小さくも確固たる自信になりました。
そしてこれは、なにも「お金」だけに限った話ではありません。
私たちの人生において、目の前に現れる「困った人」や「厄介なトラブル」はすべて、このおばさんたちのように、自分自身の内面を映し出す鏡であり、成長のためのサインなのかもしれません。
結び:あなたの周りで起きている「困ったこと」の正体
「自分の置かれている環境が悪い」
「周りの人は問題のある人ばかりだ」
「なぜかいつも自分ばかり理不尽な目に遭う」
そんな風に、目の前の環境や人間関係に嘆き、苦しんでいる人がいます。
かつての私もそうだったように、私たちはトラブルが起きると「相手が悪い」「運が悪い」「環境が悪い」と、自分以外のところに原因を見つけます。そしてもちろん、それらの苦しみはあなたが悪いわけでもありません。
さらに、自分に被害があるとき、理不尽な場所から身を守るために、職場を変えたり、転職を選んだりすることはとても重要なことです。
しかし、もし行く先々の新しい環境でも、なぜか毎回同じような人間関係のトラブルや、似たような「困ったこと」が繰り返し起きているとしたら……。
それは環境のせいだけではなく、あの「おばさん」たちのエピソードのように、
「あなたがまだ向き合っていないあなた自身の課題」が目の前に現れてくれているサインなのかもしれません。
自分以外の原因にしているうちは、問題は解決しません。なぜなら、どれだけ環境を変えても、自分自身の無意識のパターン(マイルール)があなたをコントロールしている現実に気づくことができないからです。
しかし、目の前で起きているトラブルを少し違う視点から眺め、「これは自分自身の課題なんだ」と認識できた瞬間、それは「自分がコントロールして解決できること」へと変わります。
自分の無意識や、隠れたマイルールには、自分一人ではなかなか気づけないものです。
私の3年前の気づきが、コーチング仲間の一言から始まったように、「他人との対話」によって初めて、見えない自分の姿が鏡のように映し出されます。
もし今、何か困っていることや、妙に心に引っかかる出来事があるなら。
一度、誰かと会話してみませんか?
人との対話の中で、あなたは「自分で自分の人生を変える鍵」を見つけることができるはずです。


