【Vol.4】「問題集が解けない」のではありません。「問題集が開けられない」のです。〜完璧主義の私が、怖いまま動けるようになるまで〜

こんにちは、原登志文です。

やらなければいけないと分かっているのに、どうしても行動に移せない
「一番やりたいことのはずなのに、なぜか直前でブレーキがかかって後回しにしてしまう」

あなたには、そんなもどかしい経験はありませんか?

「自分の意志が弱いからだ」「モチベーションが足りないからだ」と自分を責めてしまう人も多いかもしれません。しかし、その行動を止めている正体は、あなたの怠け心ではなく、もっと心の奥深くにある「無意識の防衛反応」であることがあります。

三浪の過去と、「問題集を開けられない」致命的な問題

私には、学生時代から抱えていた致命的な問題がありました。

それは、教科書や参考書を読むことはできるのに、いざ「問題集を開いて問題を解こう」とすると、どうしてもその実践からだけは徹底的に逃げ続けてしまう、というものです。

とはいえ、当時の私に「サボっている」という自覚は一切ありませんでした。机に向かい、熱心に参考書を読み、定理を導き出す作業をひたすら紙に書き続ける。納得がいくまで、自信が出るまで、それこそ毎日一生懸命に勉強していました。客観的に見ても、自分自身にとっても、それは「頑張っている姿」そのものでした。

しかし今振り返ると、それは「完璧に理解できるまで、問題集は解かない」という大義名分のもと、結果として問題集を開く時間を自らなくしてしまう、あまりにも巧妙な現実逃避だったのです。

点数を取るために最も必要な「問題を解く」という実践だけを、無意識のうちに綺麗に避けている。そんな状態のまま、私は大学受験で三浪を経験することになりました。

(実はこの傾向は、のちに薬剤師の国家試験を受験するときにも形を変えて現れ、結果として3回目の受験でようやく合格するという、同じような痛みを伴う遠回りを経験しています。)

「解けない」のではない。解く前の段階で、そもそも問題集を「開けない」ように自分をコントロールしてしまっている。この強烈なもどかしさの背景には、一体何があったのでしょうか。

行動を止めていた正体は「完璧主義」と「失敗への恐怖」
当時の私を支配していたのは、自分では全く気づくことができないほど深く、巧妙に隠された「完璧主義」でした。

私にとって、自分の「失敗」や間違いは、絶対に許せないものでした。「問題集を開いて、問題が解けない自分」という現実に直面すること。そこから生じる痛みを、私の無意識は本能的に察知し、徹底的に避けようとしていたのです。自分の不出来さや無力さを突きつけられないよう、心が先回りして、私自身にすら気づかれない形で自動ブレーキを踏んでいた。
だからこそ、私は「定理を紙に書き続ける」という、“勉強したつもり”になれる安全地帯に立てこもっていました。そこにとどまって「私は今、習得のために全力を尽くしている」と思い込んでいる限り、私のプライドは傷つかずに済むからです。

コインの裏表、そしてダイヤの原石

そんな私が、長い時間をかけて内面と向き合う中で、ある視点の転換が訪れました。それは、物事の「表と裏」を同時に捉えるような感覚です。

イメージしてみてください。一つのコインがあります。

表面にあるのは:「問題を解いて間違えた」「失敗した」「痛い思いをした」という経験

私たちはどうしても表面の「失敗の痛み」ばかりに目を奪われ、無意識にブレーキを踏んでしまいます。しかし、何の苦労もなくスラスラ解ける問題というのは、実は「すでに過去の自分が持っている実力」だけで解いているに過ぎません。できたとしてもそれは過去の延長線上であり、本当の意味で新しく成長しているわけではないのです。

間違えること、失敗すること、そして答えが見つからずにもがいているときの痛みを引き受けること。それこそが、新しい自分へとアップデートされている「挑戦の証」そのものでした。

もう一つ、私が大切にしているイメージがあります。
ダイヤモンドの原石は、激しく打ち砕かれ、削られ、磨かれることによって初めて美しい宝石へと生まれ変わります。

打ち砕かれるときのショック、削られるときの怖さ、磨かれているときの痛さ。そのプロセスの先にしか、輝ける自分はありません。失敗を避けるということは、磨かれる機会を自ら手放し、原石のままでいようとすることと同じだったのです。

「怖いまま」でも淡々と動けるようになる、心の掴み方

では、今の私は全く抵抗を感じなくなったのかというと、決してそんなことはありません。今でも新しいことに取り組み始めるときには、心の中にあの頃と同じようなブレーキが湧き上がってきます。

「上手くいかなかったらどうしようという怖さ」
「取り組むことへの強い抵抗感」
「どうせやっても無駄なのではないかという虚無感」

しかし、今の私はその感情に飲み込まれたり、巧妙な言い訳を作って逃げ出したりする前に、自分自身の内面で起きている「質」を客観的に掴むことができるようになりました。

「ああ、今自分の中に、失敗を恐れる完璧主義の質が湧き出てきているな。だから別の作業で時間を埋めようとしているな」と、その抵抗感をそのまま観察するのです。そして、間違えたりミスをしたりするかもしれない自分に、あらかじめ「それでいいよ」とOKを出してあげます。

感情を消し去ろうとするのではなく、ただ掴んでおく。
そうすると不思議なことに、「怖い」という気持ちを抱えたままの状態であっても、自分の行動を邪魔されることなく、静かに、淡々と一歩を踏み出せるようになっていくのです。

一人で抱え込まず、対話の中で言葉にするということ

自分を止めている無意識の恐怖やブレーキというのは、本当に厄介なものです。なぜなら、かつての私が「一生謙命勉強している」と思い込んでいたように、一人で悩んでいるときには、ブレーキを踏んでいること自体にすら気づけないからです。あまりにも巧妙に、自分自身の正論の裏に隠れているからです。

一人では気づけない防衛反応も、コーチングの対話の中で、まとまっていなくてもいいから自分の口から気持ちを言葉にしてみる。して、その外に出た言葉をもう一度自分の耳で聴いて、じっくりとかみしめてみる。

そうやって、巧妙に隠されていた自分の無意識を言葉にしてカチッと認識できた瞬間、あんなに強固だったブレーキが、嘘のようにすっと消えて無くなってしまうことがあります。仮に残っていたとしても、もう行動を阻むほどの力は失われています。

もしあなたが今、「一番やりたいはずのことなのに、なぜか別のことで忙しくしてしまって、本当の問題集を開けない」ような状態にあるとしたら。
あなたを止めているその巧妙なブレーキの正体を、一度安全な対話の中で、静かに言葉にしてみませんか?

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